• home>
  • COLUMN index>
  • COLUMN『ウインドサーフィンにおけるループの誕生』

COLUMN『ウインドサーフィンにおけるループの誕生』

  先日、人気ブログの「SOULWINDSURFER」を見ていたら、「ループを初めて成功させたチェザーレ・カンタガリという人のインタビュー記事を外国のサイトで見つけた」という紹介情報が出ていた。そして管理人のコメントで「フォワードよりもバックループの方が先だったなんて知らなかった」と書いてあった。

 私は少なからず驚いた。それはバックループの方が先という事実ではなく、管理人のN氏のことは私もよく知っているのですが、彼でもこの事実を知らないということの方だ。

 考えてみたらウインドサーフィンも、もう誕生して40年を超えているから、その間ウインドサーファーもどんどん入れ替わり、私の時代では常識だった知識も、現在はトリビア的になっていることもたくさんあるんだなあと、改めて痛感した次第である。その当時からウインドサーフィン・マスコミの最前線にいた私なので、すこしその頃のループ事情をここに記そうと思う。

 空中で1回転することが可能かもしれないと、ウインドサ—フィンの世界で言われ始めたのは、実はかなり古く、1980年ごろで、サーフボードにセイルをつけてウェイブセイリングが始まってそれほど経たない頃だ。場所はオアフ島ダイヤモンドヘッド。ピーター・カブリナが高〜いアップサイドダウンの延長としてバックループの途中で失敗した連続写真が世界中に配信された。それを見た世界中のウインドサーファーは、このときから『ループ』を近未来の動きとしてインプットしたわけである。だからループの最初がバックループからというのは間違いではない。

 そのあと高いアップサイドダウンからハーフループの段階でワイプアウトするシーンは、フリーセイリングでもコンテスト中もかなり頻繁に見られるようになり、誰が最初にループを成功させるかも、世界中の話題の一つとなっていった。

 公式記録として残る最初のループは、1983年10月11日、第3回マウイグランプリが始まる1週間前、場所はマウイ島フキーパ。ライダーはダグ・ハント。午後2時、彼はループにトライしようと思ったわけではなく、ブレイクする大きな波を避けるように飛んだ結果、偶然に見事に両足をストラップに入れたまま、波の背に着水した。しかし、歴史的快挙にも関わらず、はじめは目撃者がなかなか現れなかった。一瞬の出来事ということもあり、彼のガールフレンドともうひとりが証言したが、本人の興奮とは裏腹に、ビーチは静かだった。

 しかし、次の日になると、ホキーパの丘の上で歴史的快挙を見ていたという人たちが続々と現れ、次の日にそのニュースはマウイ中を駆け巡った。その中に、当時私が派遣したライターのK君もいた。彼も目撃者の一人で、残念ながら写真は撮影できていないが、私のところに連絡をしてくれて、すぐに彼にダグと接触するように手配したことを今でもよく覚えている。

 また、ビッグイベントを間近に控えていたため、多くのライダーがホキーパで練習しており、ループにチャレンジするものもかなりおり、ヨーガン・ホンシャイド(ウェイブでも尊敬を集めていた当時のヨーロピアンの第一人者/残念ながら後年交通事故で死亡と記憶している)は頂点で裏風を食らい、真っ逆さまに首から落ちて大怪我を負ってしまっていた。

 ループの失敗の多くがこのパターンだった。今だから言えるが、頂点から後半はいかに風を上手く抜きながら着水するというバックループ成功のポイントは知られているが、当時はまったくそういうコツは存在せず、わたしもマウイグランプリやアロハクラシックなどのコンテストで、特にマット・シュワイツアー(ウインドサーフィンの父/ホイルの息子であり、スーパーキッズの一人ゼインの父親であり、当時のビック4の一人)は、コンテストで頻繁にバカジャンプから空中で裏風を食らって落下していた。そして今だからわかることだが、この応用が後にプッシュループにつながっていくことになる。

 そんな中でのダグの成功だった。たまたま頂点で上手くセイルがシバーの状態になったがゆえの成功である(本人も自らその時のことをそう語っている)

 なお、正確な時期はわからないが、この頃一人の日本人もマウイでループを成功させている。奥田哲、現在はSUPのブランドPADOBOを主宰する往年の名ウェイブライダーだ。彼も当時キレたジャンプをすることで当時知られていたが、その高さ故に何度かロビー・ナッシュの目の前でループを成功させている。
 しかし彼らが成功したからといって、ループが一般的な技として定着するのは、まだまだ先のことだった。

 ループが加速度的にウインドサーフィン界で定着してきたのはそれから3年ぐらいしてからだった。1986年10月末からマウイ島・ホキーパで開催された「シチズンアロハクラシック」の大会中にチェザーレ・カンタガリが『キラーループ』を決めてからだ。国際大会のヒート中に多くの観客の目の前で数回成功させたのであるから、そのインパクトは強烈で、その衝撃は一気に世界に広がった。そして私もその目撃者の一人である。

 チェザーレ・カンタガリはイタリアの選手で、せんだみつおに似た風貌を持つ小さな選手だ。ループを成功させたときはまだ17歳で、ほぼ無名に近かった。彼の行ったループは、バックループではなく、フォワード系だった。とはいっても現在行われているタテ回りのフォワードループとは異なり、コークスクリューのようにねじり回転するタイプのループで、今のムーブではフリスタのポンチやバーナーの回り方に似ている。

 実はこの大会の頃、ループが広まっていく機はもうすでに熟していた。いくつかのループの成功話が現地では広がっていたのだ。それは一つがデイブ・カラマが成功させていたセイルを頂点で引き込んで前に回るフォワードループ、もう一つがマーク・アングロ(今年のウェイブチャンプ、ジョシュ・アングロの兄)が成功させたリップループ(エアリアル360/グースクリュー)だ。チェザーレのキラ—ループは知られていなかった。
 彼はこう語っている。
「前からイメージを持っていて、大会の2週間前にスプレックスでやってみたらすぐにできてしまったよ」

 その言葉通り、キラーループは一度現実として見てしまえば、トップライダーたちにとってそれほど難しくなかったのかもしれない。事実、ロビー・ナッシュはチェザーレのループを見て、すぐにマスターしてしまったのだ。そして結局チェザーレはこのワザで見事に9位に入賞を果たした。

 だから今日のフォワードループの原型はカラマが行ったジャンプの頂点から前に回っていったループだと思われる。「そこから逆に回るんだ」と当時は表現されていたのも、ループ=バックループという時代ならではだろう。さらにバックループもキラーループもテイクオフの勢いで回っていくタイプだが、空中でベアするセイルパワーを積極的に使いはじめたのもこの1987年ぐらいからと言えるだろう。

 その後、ループの主力はフォワードに移っていく。キラーループとミックスされながら、“回る”という成功率が飛躍的に上がり、さらにストレートフォワード(完全なタテ回り)、レイトフォワード、そしてダブルフォワードと進化を続けていく。

 バックループはかなり長い間、できそうでできない難易度の高いワザとしての位置づけが続いた。それは今でも続いていて、現在もコンテストでのポイントはバックループの方が高得点ということにも現れている。そしてどうしても頂点から落下に至るセイルトリムが難しいバックループの応用として数年後にプッシュループが登場したのである。

 今日ではフォワードは3回転の時代になり、プッシュループもバックループも他のテクを含めた複合ワザとして行われ、この2つも2回転の時代が目前に迫るまで、ループは当時は予想していなかったほどの進化をしている。さらにフリースタイルという「動きの化け物」がウインドサーフィン界に登場し、それからのフィードバックもあって、まだまだ我々の予想を上回る進化を見せ続けることだろう。


ダグ・ハントの顔写真


チェザーレのキラーループ/PHOTO T.TAKIGUCHI