参加選手は男女合わせて64名。これをメンズ3、ウイメンズ1のヒートに分け、各ヒートの持ち時間(10〜15分)の間に選手たちは湖面を自由に走行してスピードを記録する。そこで記録された最高速度の上位10人がファイナルヒートに進出。そしてファイナルヒートも同様に行われ、その記録でそのレースの順位がつけられるという形式で行われた。時間が許す限り、何度もこれを繰り返し、最終的にはレースと同じように各レースのトータルポイントで、順位が決定する。だから、全体の最高速度を出した人が優勝者になるとは限らないのだ。
夏を思わせる天候が続くと予想されていた2日間、当然本栖サーマルが吹くと予想されていたのだが、2日目は予想外のべた凪に近い状態となり、結局初日に行われた2レースで順位は決定した。とは言っても初日に吹いた風は、しっかりしたもの。十分好記録も期待できる風だった。
予定通り11時頃からサーマルがそよそよ吹き始め、12時を回る頃にはプレーニングするブローが入り始め、第1R第1Hは午後1時にスタートとなった。ファンボードビーチではこの本栖サーマルがスタボーサイドで吹いてくるが、ここドラゴンビーチはポートとなる。
各選手、黒いブローラインを求めて湖面に散っていく。山に囲まれた本栖湖は、コンスタントにどの場所にも均一にブローが入るゲレンデではない。場所によってかなり大きく異なるから、最高速度を出すという自分との戦いにおいて、どこを走るかが生命線となる。
だが、ヒートが始まっても風はまだガスティさを色濃く残していた。だがギリギリまで粘ってブローを待つ選手は少なかった。
それは次のヒートの人へのGPSの受け渡し(GPSを持っていない人のためレンタルも行われていた)やリセットのため、制限時間内にビーチに設けられた2つのステーションへの帰着厳守が言い渡され、遅れると即失格となることもあって、沖でブローがなくなってしまうリスクを避けるため、選手たちは早めの帰着をしたのだ。
第1Hの最高は駒井選手の56.0km/h。50km/hを超えた選手の方が少なく、記録は低調だった。
ところが第2ヒートに入ると風はどんどん勢いを増し、湖面の広い範囲にブローが行き渡ってきた。特に正面右側から奥にかけて、黒いエリアが大きく広がっている。そこを狙う選手が多かった。記録の方も最高が岡本選手の59.3km/h、コング鈴木選手が58.9km/hと1段階上がり、60km/hが目前と迫ってきた。そして第3HにはGPSで75km/hを記録したこともある浅野選手が登場する。風は安定し60km/h越えも時間の問題と思われた。
しかし終わってみると、酒井亨選手の59.3km/hが最高で、浅野選手に至っては、57.2km/hとヒート3位で、誰も超えられなかったのだ。
「あの風下の海面は、走ってみたけど風が強くても使えないね。面が荒れすぎているよ」
浅野選手はそう語った。
日本で初のGPSを使用した本格的なスピード競技”ガラムスピードダッシュin本栖湖”が5月8〜9日の2日間開催された。会場はいつものファンボードビーチではなく、対岸の通称“ドラゴンポイント”。富士山を臨む絶景の下、スピード自慢たちが、腕にGPSを装着して、その最高スピードを競い合った。NO.1は予想通り浅野則夫。レース、最高速度ともに1位と完全勝利で、初代のGPS王に輝いた。
ここまで60km/hというのが一つの壁となっていた。各ヒート上位10名、計30名で競われるファイナルヒートで、果たしてこの壁は突破されるのか。14:30、ファイナルスタート。浅野、コング、酒井亨、駒井、中川らサーキットライダーたちが名を連ねる。
「今度はさすがに誰かが壁を越えるだろう」
というのがビーチでの共通認識だった。
結果を言えば、壁は破られた。しかしそれは浅野選手でもコング選手でもなかった。100mダッシュの優勝経験者でもある山本大輔選手だった。記録は62.6km/h。わずかコンマ数km/hがなかなか届かなかったのに、一気に3.3km/hも更新してしまったのである。しかも壁を破ったのは彼一人だった。
「練習の時に60km/hを超えていたので、壁とは思っていませんでしたよ」笑顔で彼はそう語った。セイルはニールのRS RACING EVOII7.8、ボードはバーレーFACE70の試乗艇を借りての記録だった。
浅野選手と並んで優勝候補のコング選手は、独自の目的を持って挑んでいた。それは9.0㎡のセイル、125ℓのビッグギアでの60km/h越えだ。
「この風速での世界標準のセットで出してこそ意味があるし,得られるものもあるはず」との想いからである。結果は55.3km/hとふるわなかったが、結局彼は最後までこの姿勢を貫いたのだった。
つづけて第2R。できるだけフラットなエリアを強いブローで走り抜けることが好記録に繋がる。そういう場所を広いエリアの中で見つけることがポイントだ。選手たちも第2Rになるとそう言うことを把握し始めたからか、第1Hで臼井選手が62.4km/hで2人目の大台突破を果たし、第2Hでは西村、古橋の各選手も壁を突破。そして浅野選手も61.9km/hを記録した。が、第1R1位の山本選手の記録にはまだ届いていなかった。
「風上の方の比較的岸に近いところに面が比較的きれいでブローも入るところがありますね。その場所は狙い目です」元本誌編集部員の西村選手はこう語ってくれた。
そして第3Rでは中川選手がついに山本選手の記録を0.1km/h上回る62.7km/hを叩き出し、他にも中西、玉野の各選手が60km/h越えを果たして、いよいよファイナルを迎えた。王者の浅野選手はここまでどこかに余裕を持ちながら“ヤバいヤバい”と言っていたのだが、表情は集中したものに変わり、完全に本気モードになっていた。道具をマウイセイルTR-5xtの8.4から7.6に変更し、ボードはバーレーヘッズFACE56、FINは34cmをチョイスした。
第2Rファイナルスタート。浅野選手は上から来るブローを入念にチェックし、タイミングを合わせてスラロームのスタートのようにロケットスタート的な飛び出しを見せた。そのまま風上の湖面の比較的岸に近いところをカッ飛んでいった。
すると、ものの3分もしたら、もう浅野選手がビーチに戻ってきた。二の腕を指しながら何かを叫び、浜に上がってきた。何かアクシデントかと思ったが、実はもう65.6km/hという今までの最高記録を2.9km/hも上回る新記録が出てしまっており、お役御免とばかり帰艇しようとしていたのだ。しかし周囲の声に促されて再び湖面へ出艇していった。
この2度目ファイナルは、みんなこのゲレンデの攻略法がわかってきたようで、ファイナルらしく60km/hの壁を越える選手が続出。このヒートで60km/hの壁を越えた選手は10名を数えた。
この結果、レース、最高速度ともに浅野選手が優勝という順当な結果で記念すべき初のGPSスピード大会は幕を閉じた。
ウイメンズは現役の葉山町議会議員である土佐洋子選手が、これまたレース、最高速度(54.50km/h)ともに1位となり、優勝を果たした。
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SPEED WORLDS 2009 KARPATHOS
アントアンやフィニアン、ビヨンらが
参加した今年のスピード世界選手権