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  • COLUMN『COLUMN From MAUI オガちゃんヴォイス』

VOL..1 コンペティションからスタイルへ

  以前は、毎年ホオキパでは春のオニール・インビテーショナル、秋にはアロハクラシックとウェイブパフォーマンスのコンテストが開かれ、日本の企業がスポンサーしていたこともあったし、それらは僕らにとって毎年の恒例行事だった。世界中のトッププロがマウイに集結し、ホオキパビーチパークは毎日混み合って、駐車スペースを探すのも大変だった。またホオキパでの大会の観戦はマウイ観光の一つになっているほどで、観光客のばさんたちは派手なパフォーマンスに奇声をあげて観ていた。今思えば、その頃がホオキパでの大会の全盛期だったのかもしれない。

 大会全盛期だった1980年代から、1990年代後半には、だんだん大会の規模が小さくなっていき、2000年に入ると、大会はパイアを中心にした「街の商店街のお祭り」のような感じになってきた。スポンサーは企業ではなく、ウインドサーフィンのショップや地元の店が応援していた。
 ただそんな感じでも大会自体は盛り上がっていたし、楽しかった。そんなホオキパでのコンテストも2006年の大会で最後となってしまったが、そのとき僕はマスターズクラスに参戦して3位になった。1位がアンダース・ブリンデル、2位がアレックス・アグエラ、マスターズクラスは35歳以上ということだけど、実は全盛期からウインドをやっている連中は、今やみんながマスターズクラスになっていて、実は強豪ぞろい。レベルもメチャクチャ高い。1980年代の全盛期と同じメンバーで戦うわけだから、ノリも変わらない。時代の流れからフラッシュバックしてしまう。

 残念ながら、2007年以降はホオキパでのウインドサーフィンコンテストは消滅した。時代の流れだからしょうがないのかもしれないけど、だからと言ってウインドサーファーがいなくなったわけじゃない。ウインドの道具は進化し続けてるし、より洗練されたセイル、ボード、ブーム、マスト。すべてが軽量でコンパクト、持ち運びもデカいワンボックスカーは要らなくなった。最近のセイルはレンジが広くて、大中小の3枚もあればかなりの風域で対応できるし、ボードも自分の体重と同じぐらいのリッターサイズが1本あればかなりこなせてしまう。

 ホオキパの大会が全盛期だったころは、ウインドサーフィンの主流はやはりコンペティションだった。そういう時代があってウインドサーフィンがスポーツとして確立されたのだから、それはそれでよかったし、いい時代だった。
 でもこれからは、スタイルを追求するソウルウインドサーファーの時代かもしれない。これから先も、ウインドを本当に楽しんでいる人は続けるんだろうし、風と波と人の調和で自然を感じて癒されるのがウインドの魅力だから、これからは、人と戦うウインドではなく、自分が楽しむウインドを追求したらいいんじゃないかと思う。
 もともと社会全体が競争社会で伸びて来た日本は、日本一やランキング何位にこだわりその人の価値を評価してきた。
僕自身そういうのが嫌だからウインドサーフィンをやり始めたし、誰かに認めてもらいたいからやってる訳でもない。本当に好きだからやるんだよね。
 だからプロもスポンサーに頼るのでは無く、セルフスポンサーでまかなうべきかもしれない。既にそれを実践してる人もいるし、メーカーの営業になってるプロも今では珍しくない。資金は違う事で稼ぎ自分に投資する。そうする事で自立心が高まるし、精神的に鍛えられ個々のレベルが上がる。それでもウインドをする奴は絶対いるし、自由に好きな道具を自分で買って使える事は、プレッシャーやストレスがない。道具も大事にするだろうし、本来あるべき姿に戻るだろう。そういう姿に共感し、もっと理解あるスポンサーが現れるまで安売りしないほうがいいのかもしれない。

 まず身近な家族や親族に理解してもらう。ビーチに来る仲間に認めてもらう事が一番大事なこと。一番のスポンサーだってことを理解するべきだよね。
 皮肉な事に以前なら10月下旬~11月中旬はコンテストシーズン、昨秋のマウイは波も風もいい日が続き、晴れて天気も良く、最高のコンディションだった。もし、コンテストが開催されていたら大成功だっただろう。でも試合が無いのも悪くないよと言わんばかりにローカルたちは、大きな波のフェイスにそれぞれ思い通りのスタイリッシュなマニューバーを刻んでいたね。それでもいいんだよね。

アロハ