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- COLUMN『元編集長KENの「今だから言える話」vol.2』
長らくお待たせしました。「今だから言える話」の第2弾です。今回の話は女性のウインドサーファーの話です。
最近、お騒がせ女優の沢尻エリカさまが復帰会見を行い、大胆なセミヌードを披露したCMとともに今話題となっていますが、それを見ていて、ふと、昔を思い出してしまいました。
それはかつて女性ウインドサーファーも、センセーショナルに肌を露出していたなあと言うことです。どのジャンルでもそうですが、ウインドサーフィン界でも国内外を問わず、美女ウインドサーファーを多く輩出してきました。そして、その中には沢尻エリカさまの露出を軽く上回る現役選手たちが複数存在していたのです。今から20年以上前のことですので、この事実を知る日本のウインドサーファーは、いまやほとんどいなくなってしまったといっていいでしょう。
現在ウインドサーフィン界で美女と言えば、イバヤとダイダの双子のモレノ姉妹が、その美貌と選手としての実力ともに備えた存在として、長年トップの座に君臨し続けていることに異論はないと思います。彼女たちは日本において有名ではあるものの、アイドル的な、あるいは芸能人的な人気は、ウインドサーフィン界の中でさえ、残念ながら獲得できたとは言えません。
しかし彼女たちの母国スペインを筆頭に、スポーツとしてウインドサーフィンが社会的地位が高いヨーロッパでは、この美人双子姉妹は一般的にも相当有名な存在になっています。彼女たちが一般誌にセクシーショットを掲載したという情報は、残念ながら私は存じませんが、彼女たちはマネージメント事務所に所属し、それは世界的なトップアスリートたちとたくさん契約している事務所(ウインドでは他にロビー・ナッシュが契約していた時期があった)であるということは私も知っています。
以前に一度だけその事務所から私にも直接メールが来たことがあります。それは“女性として撮影された”彼女たちのグラビア写真(ちょっとセクシーなものもあったような記憶があります)&インタビューの売り込みでした。もちろん超一流のタレント級料金ではありませんでしたし、こちらがウインドサーフィンの専門誌であることもわかっていた上での売り込みでしたので、料金は法外な金額ではありませんでしたが、それでも高価で、また日本で知名度があっても、アイドル的人気があるとは思えませんでしたので断りましたが、ヨーロッパではおそらくどこかのメディアで掲載された可能性は高いと思います。
これは10年ぐらい前の話で、それ以後はこの手の噂も聞きませんが、逆にそれ以前は、もっと活発で過激なものがありました。それは……
「○○が脱いだ!」
そうです。ウインドサーフィンの一流現役選手のフルヌードの話です。
わたしが確実に記憶しているものでフルヌードは3名、セクシーな水着ショットを含めるともう1名存在します。その美女たちの名前はナタリー・シモン、ナタリー・ルリエーブル、ジョイス・ドッタビオ、そしてセクシー水着ショットがジェンナ・ド・ロネです。ただ残念ながら今となっては彼女たちの名前を見ても、すぐに顔を思い浮かべられるウインドサーファーはいまや希有でしょう。
最初のフルヌードはジョイスです。これは1985年に掲載されました。個人的にはもっとも思い出深いものとなっています。なぜなら私が自ら専門誌に掲載したからです。彼女は選手としては決して一流ではなく、ネームバリューもなく、単なるマウイローカルの女性ウェイブライダーの一人に過ぎません。しかし、当時新米編集長の私は、彼女のヘアヌードの“オリジナル写真”の入手に成功し、それをライトテーブルに並べ、ルーペで何度も何度もディテールまで凝視し、そしてセレクトし、デザイナーと2人で夜を徹してページを作りました。当時日本では印刷物にヘアを載せるということはまだ完全にタブーの頃です。ましてやウインドの専門誌しか作ったことがない新米若輩編集長ですから、さて、どうしたものかと、とても悩んだことを覚えています。しかもデザイナーは芸大出の一流デザイナーですから、表現の自由とか、難しいことを主張してくるかもしれず、しかし眼前にはタワワなGカップクラスの巨乳がはじけていて、理性も欲望も締切という現実も頭の中でグチャグチャに渦巻きつづけた何日間でした。
案の定、デザイナーからは「ボクはボカシは嫌だヨ!」ときっぱり言われ、さらに「ウインドサーフィンの雑誌なのだからワイセツとかの概念とは無縁だろ、表現の自由ということでこのままいけるように社長に交渉してみてよ」などという無茶ブリまでされました。
結局、隠す方法をデザイナーに考えてもらうことにし、そして彼が考えたのが、バンドエイドの写真を局部に載せるという方法でした。今振り返っても可笑しい方法で、ボカシと五十歩百歩だと思うのですが、この手法で日本のウインドサーフィン誌初の(世界でも初だと思います)ヌードグラビアは無事に掲載に至ったのです。
シモンとルリエーブルの2人のナタリーは、いずれも母国フランスでヌードが発表されました。モレノ姉妹のところでも述べましたが、ヨーロッパ、特にフランスではウインドサーフィンのプロ選手は、日本では信じられないぐらい地位が高く、この2人のナタリーもかなりの国民的に知られたスターでした。ルリエーブルは小柄ながらも当時のレーシングにおける世界の頂点に立つ実力者であり、フランス人らしい顔立ちから激しい気性がにじみ出る風貌は、サムタイムで来日したときも独特の存在感やオーラを示していました。一回り以上年上の彼氏を従え、時には人目も憚らず泣き叫ぶような行動を見せていた、まさにエリカさまチックな選手です。
一方のシモンは、実力的にはワールドカップのセカンドグループといったところですが、フランス映画のスクリーンから出てきた女優のような、あるいはファッション誌の表紙を飾ってもおかしくないトップモデルのような見事なスタイルと美貌の持ち主で、その容姿で有名でした。おそらく本国フランスでも同じような理由で有名だったことでしょう。実際、シモンはエルやパリマッチの誌面を飾ったと聞きました。
手元に今、資料がないのでどちらが先かは正確にはわかりませんが、ルリエーブルはワールドカップ、オリンピック候補選手という現役を退いた直後に、パリマッチの誌上で、シモンの方はそれからしばらくしてエルの方で発表したと記憶しています。いずれにしてもジョイスの場合とは異なり、メジャー雑誌というところがスゴいことです。
しかし、ウインド選手が一般誌のグラビアに登場するということの先駆者は、ジェンナ・ド・ロネでした。ジェンナはサーフリジェンドのジョン・セバーソンの娘であり、グラマラスなナイスボディを持つワールドカッパーで、当時はフランスの男爵の爵位を持つウインドサーフィンの冒険家、アルノー・ド・ロネ(台湾海峡横断時に消息不明となる)の妻でもあります。
彼女の場合は、いきなりグラビアアイドルばりに写真集が発表されていたのです。おそらく夫アルノーの力が大きかったと思いますが、それでも一冊丸ごと彼女の写真で埋め尽くされた写真集というのは驚きです。私は夫アルノーから直接この写真集を見せられました。当然彼女もヨーロッパで有名な存在となり、その後何度も写真配信会社を通じて私のところに彼女の新着写真ですよと売り込みがあったことをよく覚えています。
さて、では国内ではどうでしょうか?
残念ながらこの手の色っぽい話は私の記憶にはありません。しかし、セクシーショットという意味ではなく、日本人の女性選手たちが水着を来た着用した写真がたくさん掲載されたことはあります。その企画は何を隠そう私が実践したのです。
新着水着や夏物のウェアを紹介するページのモデルとして、今井雅子、下平真由美といった、当時全盛期を迎えていたレディストップライダーたちをモデルに起用したのです。とある海岸で、ロケバスも出動し、レフ版も使ったかなり本格的な撮影をしたことと、私のクルマがスタックして脱出するのに4時間は軽く費やしたを覚えています。今となるとこれは貴重なページかも知れませんね。